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特集記事アーカイヴ Issue 2003.7-8

ことばをうたう 〜ひらたよーこインタビュー

interview & text: オグチヒロシ Hiroshi Oguchi

──ことばをうたうバンド“あなんじゅぱす”。劇団「青年団」の俳優としても活躍しているひらたよーこがシンガーソングライターをつとめる、オリジナルユニットである。わたしがひらたよーこの舞台をはじめて観たのは、劇団「青年団」の公演でだった。そのころ、平田オリザひきいる「青年団」は、いまや演劇界であたりまえになった「現代口語演劇」のスタイルを確立しようとしている時期であり、その先進性と未完成な不安定性が同居した、とてもスリリングな舞台をわたしたちにみせていた。ひらたよーこがある劇団に客演したとき、彼女はまさしくうたうようにセリフを発し、ひとり自分のスタイルをつらぬきとおしていた。ひらたよーこをつよく意識させた舞台だった。

ひらた 父が作曲家だったし、作曲は4歳の時からやっているので、べつに特別なことではないです。「歌う」という活動を、意識してはじめたのは、大学に入って演劇をはじめてからです。大学に入学してすぐ、「青年団」に入ったんですが、それは平田オリザの劇団紹介の言葉がよかったからなんです。役者は、作家の書いた言葉(セリフ)を声に出して言う。そのときに、どういうリズムで言うのかとか、どういう強さで言うのかとか考えないといけない。とくにオリザの本は、「現代口語演劇」といって話し言葉を基本にしているので、あなんじゅぱすの活動をはじめてから、現代音楽と演劇がつながっているんだなぁ、と気づいたんです。

──あなんじゅぱすが活動を開始したのは1996年。あなんじゅぱすのおおきな特徴のひとつに、谷川俊太郎や田村隆一、田中庸介などの「現代詩を歌う」ことで、「詩と旋律の必然性」を問いつづけている、ということがあげられる。

ひらた 現代詩に曲をつけるきっかけになったのは、谷川俊太郎さんの「新しい荒野」という詩なんです。あるとき谷川さんの詩集をめくっていたら、わたしが4歳のときに作曲した曲にぴったりだったんです。あ、ここに歌詞カードがある、っていう感じ。ほんとうに、わたしのために書いてくれたんじゃないかというくらい、メロディーと詩があっていました。それから、谷川さんの詩や、中原中也、ランボーなどいろいろな詩に曲をつけてみました。

自分のスタイルをつかんだのは、正岡子規の短歌に曲をつけたときからです。それまでずっと無意識でやっていたことを、はじめて意識的にやることができたのはそのときからです。余談ですけど、わたしは本を買ってくると、はじめピアノの譜面台にのせて、ぱらぱらとめくって、気にいったところをピアノで弾きながら読むんですね。だから、ことばに曲をつけるということは、わたしにとっては自然なことなんです。わたしにとっての詩的な時間というのは、 うたで表現されたものなんです。

読むだけではだめなんですね。田中庸介さんは、あなんじゅぱすのライブに来てくださったりしていて、自分の詩に曲をつけてみませんかって、ご本人からさそってくださったんです。それまでは、自分のすきな詩に一方的に曲をつけていたので、はじめて現代詩人の方とお話ししながら作曲ができて、とってもうれしかったですね。田村隆一さんは、いつかのライブの後でみんなで飲んでいたときに「田村隆一もいいよ」って言われて、読んでみたのがきっかけです。わたしは鎌倉の七里ヶ浜で育ったんですが、田村さんも鎌倉に住んでいらして、鎌倉を題材にたくさん詩を書いていらっしゃる。読んでみて、自分が育ったところが詩になっている! っていう感じで、すごく感激しました。

──ひらたよーこにとって作曲をするということは、ごくあたりまえの行為のようだ。ひらたよーこは、歌うことの幸せ、作曲することの至福をピアノの前でつねに感じているのだろう。

ひらた 作曲をはじめたのは、4歳のときからですが、事情があって父が家を出ていってしまって、それまで父の周りにいた人もいなくなって、ピアノだけが残った。その孤独とむきあうことが作曲という行為になった。父の代わりにピアノの前に座る、作曲するということが幸せだったんですね。曲ができたときの気持ちは何にも代えがたい、至福のときです。ものを創るひとは、たぶん、さびしがり屋で孤独なんです。

ランボーに「Sensation」という詩があるんです。日本では「感触」または「感覚」というタイトルで呼ばれている詩なんですが、青年団の公演でフランスに行っているときに、本屋でその原書を買って劇場にもどった。外国人がその国の古典の詩集を持っているので、 ひやかされるかなと思っていたら、フランス人の俳優たちが「あぁ、これ、教科書で読んだ」って、口ぐちにいうんですね。それで、堀口大學の訳だと「吹く風に髪をなぶらせて!」と訳されている一節があって、いろんな人がいろんなふうに訳しているんですが、これはどういう意味なんだ、って聞いてみたんです。 そうしたら、こんなふうになっているんだ、って身ぶりで説明するんだけど、ひとことでは言葉にならない。そういう、言葉にならない言葉みたいなものを、うたで表現できるといいと思っているんです。

──あなんじゅぱすは最近、ほかのジャンルの人とコラボレート・ライブをおこなっている。写真家の田中流。俳優で劇作・演出もおこなう一人芝居の高山広。いずれも独自の世界を持っているアーチストである。

ひらた 作曲するという作業は、ほんとうに一人の作業なんですね。設計図を描くというか。一方、ライブ会場でパフォーマーになってうたを聴いてもらうというのは、それと正反対の作業なんですね。お客さんによってもちがうし、会場の雰囲気によってもちがう。ライブに向かうっていうのは、飛行機のコックピットに乗って滑走路からまさに離陸するみたいな感じだと思うんです。で、離陸してどのくらい高く飛べるのかどのくらい遠くまで行けるのかというのは、その時どきによってちがう。だから、もちろんほかのミュージシャンと演るときもそうなんですけど、ほかのジャンルの人と、おなじコックピットに座って遠くまで飛んでいきたいと思うんですね。つまり、世界がひろがる。自分にはない才能を持っている人と豊かな時間を作ることができるんです。

田中流さんは、「谷川俊太郎の夜」という会ではじめてお会いしました。わたしが谷川さんの詩を歌って、流さんは写真を展示されていた。田村隆一さんの詩に曲をつけたのを聴いてくださって、流さんも鎌倉がお好きだということで、意気投合して、いつか何かいっしょにやりましょうって約束したんです。それが、昨年(2002)

「幻灯演奏会」と銘うって実現しました。高山広さんは15年くらい前に一人芝居をはじめられたときから観ていました。高山さんもあなんじゅぱすのライブや青年団の舞台を観てくださっていて、これも昨年、いっしょにやりませんか、って声をかけてくれたんです。弘前のスタジオデネガというすてきな劇場で1日だけ公演したんですが、これまでになかったまったく新しいコラボレーション、音楽劇になりました。6月、この2つのライブをこまばアゴラ劇場でとせんだい演劇工房10-BOXで再演することができました。田中流さんや高山広さん、そして音楽監督の只野展也さんという優れた才能と出会って、わたしもまた「新しい荒野」に踏み出すことができました。


ひらたよーこ Yoko Hirata 
1965年東京生まれ。劇団青年団俳優/ことばをうたうバンドあなんじゅぱす主宰。あなんじゅぱすCD「ことばをうたう-詩と旋律の必然性」、「ベースボールの歌」発売中。
<あなんじゅぱすサイト> http://homepage3.nifty.com/unangepasse/


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